▽目次
皆さんは今までで銃口を直接突き付けられた事がありますか?
殆どの日本人は無いと思います。 僕は2回あります。
一回目はドイツが東西に分割されていた頃の話です。
ベルリンは現在はドイツの首都ですがその当時は東ドイツの首都でした。
因みに西ドイツの首都は僕の住んでいたフランクフルト。
但しベルリン全体が東ドイツの首都ではなく東側のソ連が統治していた部分が東ベルリンの首都であり
ベルリンの西側は アメリカ、イギリス、フランスの統治する地区で西ベルリンと言っていました。
しかもベルリン自体は東ドイツの中に孤島のように浮かんでおり周りは全て東ドイツと言う非常に複雑な構造になっていました。
僕はベルリンに行こうと思い自分の車で向かいました。途中で東ドイツの領土に入るのですが そこではあまり厳重な チェックはありませんでした。 アウトバーンの上だけが西ドイツ領として認められていたようです。
画像参照:http://www.kyoritsu-wu.ac.jp/nichukou/sub/sub_gensya/history/Cold_War/Division_of_Germany.htm
ドイツの分割統治
何事もなく ベルリンに無事到着しました。当時1985年ごろはご存知だと思いますがドがイツは
ソ連が統治する 社会主義国の東ドイツとアメリカ、イギリス、フランスの統治する民主主義国の
西ドイツに分かれていました。 第二次大戦で負けた結果こうなったのですが、同じように韓国も北朝鮮と韓国に
分断され」これは今も続いています。
何故日本は分割されなかったのでしょうか?
日本も戦勝国の間で分割統治が話し合われていました。
具体的には5分割統治でソ連が北海道及び東北、アメリカが関東、信越、東海、北陸、近畿、中華民国がが四国、
イギリスが西日本、九州、東京は4か国による共同統治と言う案が決まりかけていました。
しかし アメリカが ソ連の力が強くなることを嫌ったため、ブルガリアとルーマニアをソ連に渡すから
日本からは手を引けと 言うような交渉が行われ 実質的にはアメリカ一国が日本を統治すると言う事になったのは
非常に幸いなことでした。
もし日本が韓国と北朝鮮のように5つの国に分割されていたらと考えるとゾッとしますね。
(韓国と北朝鮮はいまだに分割されたままでお互いに敵対関係にあります)
僕が行った時は西ベルリンは非常に活気があって栄えていましたが周りが全て東ドイツでベルリンからは
出られないと 言う今の都市封鎖のような感じでした。
東ベルリンとの間には有名なベルリンの壁があり地下鉄等も全て 東ベルリンと西ベルリンの間は
コンクリートで塞がれていました。
チャーリーズポイントへ
僕はその頃は東西冷戦の時代で東からの情報が非常に少なかったため、僕は東ベルリンも訪問したくなりました。
東ベルリンに行くにはチャーリーズポイントと呼ばれる検問所を通る必要がありチェックは非常に厳しいものでした。
車から降ろされて全身チェック、その間車は室内から床下まで徹底的にチェックされました。
あちこちに監視棟があり銃を持った軍人が下を通る車をチェックしていました。
僕も全身チェックを受けている間一人の軍人が僕の方に銃を向けて監視しており非常に怖い思いをしました。
当時は東ベルリンから西ベルリンに逃亡しようとした人がベルリンの壁を超えて脱出しようとしましたが、
殆どの人が監視塔からの射撃で銃殺されました。
テレビでベルリンの壁が壊される映像を見て感慨深いものがありました。
2回目はアメリカデトロイトです。
デトロイトのGM本社で月曜日から金曜日まで会議があり土曜日に帰国の予定でした。
丁度その時デトロイトオートショーをやっていたので僕は金曜日の会議を早めに切り上げてオートショーを
見に行く予定にしていました。
所が金曜日の会議が長引いてしまいショー会場に行く事は出来ませんでした。
GMの友人にその事を話すとそれでは会場がオープンする前の早朝に行こうと言う事になりました。
僕のフライトは昼頃で早朝に会場に行けば間に合うだろうと言うのです。
ただその日はクリントン大統領が10時にオートショーの視察に来るのでその前に会場を出ようと言う 計画にしました。
クリントン大統領の視察に遭遇
所が早朝に会場に行くと今大統領の視察中だから待ってろと言うのです。
大統領の予定と言うのは テロ対策の為予告なく変更されることが多いんだそうです。
僕は事情を説明し大統領には近づかないし怪しいものでも無いので会場に入れて欲しいと頼みました。
トランシーバーで連絡を取っていましたが、最終的にはOKと言う事になりました。
所がそれからが大変で全身チェックです。当然車も厳重にチェックされました。
その間一人が常に僕の方に銃を向けて監視していました。
それで結構時間がかかり 1月で大雪の日だったので空港までの時間も結構かかりそうな状況でした。
僕は時間が無いからもうショーを見るのはあきらめると言ってその場を去って空港に向かいました。
本当にギリギリの時間にやっと間に合いました。
デトロイトオートショーは僕は毎年見学に行く事に していたのですが、ショーを見逃したのはその年だけでした。
いずれにしても黒い黒光りする銃の銃口が自分の方を向いている感じと言うのは今でも思い出すと ゾクゾクしますね。
この記事へのコメントはありません。