松林塾長ブログ

僕の履歴書(2)

上海GMの社長を辞めて

上海GMの社長を辞めて日本に帰ってきて好きなゴルフでもやろうと思っていたのですが、ゴルフも今度の休みには
時間を見つけてゴルフをやろうと言うと燃えるのですが「何時ゴルフやっても良いんだよなー」と思うと
ゴルフをやる気持ちにもなりません。

本当に僕は貧乏性で何かをやっていないとストレスが溜まるようなのです。

日産自動車へ

それで又何かをしたいと考えました。日産自動車のデザイン担当副社長に中村史郎と言う結構有名な
人がいるのですが、彼の事は良く知っていたので彼に「日産で僕のやれる仕事はない?」と聞いてみたのです。

日産自動車は僕の自宅から徒歩圏内で非常に便利なのです。

彼は「アンディーパーマーと言う非常に優秀な副社長がいる。その人と話をしてみたら?」と
パーマー副社長を紹介してくれました。

僕は直ぐに彼に連絡をとり彼の面接を受けました。

彼は本当に優秀な人で今はアストンマーチンのCEOになっています。
その面接で意気投合して「是非一緒に仕事をやろう」と言ってくれたのです。

その面接を受けたのが3月だったので4月からは日産だ。と単純に考えていたのですが5月になっても6月になっても
日産から連絡がありません。

僕は日産の人事部人事規程の話して状況を聞きました。

日産人事部の答えはこんな感じでした。「日産の社員は60歳で定年と言う前提で採用する。
所が60歳以上の人を社員として採用すると歯止めが無い。パーマー副社長に契約社員か派遣社員じゃ
駄目ですか?と聞いたら一緒に大事な仕事をするのにそんなことはあり得ない。といわれたので
今日産の人事規定の修正をしている。もう少し待って欲しい。」

それから暫くして7月ごろ人事から連絡がありました。

「人事規程の修正は終わった。次の作業に入るのでもうしばらく待って欲しい。」

僕が内容を聞くと日産には55歳役職定年と言うのがあり55歳以上の社員は役員以外は全て
平社員になります。
大抵は部長が急に次の日から平社員と言うのは本人も周りもやり難いので 関連会社の役員として
転出するのが一般的ですが。当然僕の場合も55歳ははるかに超えているので平社員と言う事に
なります。

日産自動車での業務

所がパーマー副社長はそれでは僕に悪いと思ったのか僕に Future Strategist と言う新しい
役職を用意してくれたのです。
所が今度はこの新しい役職が必要であると言う Position Verificationと言う書類にサインが
必要なのだがそのサインをするのは購買担当役員で彼はずっと海外のメーカーを回っていて
なかなか日本に帰ってこない。
彼が日本に帰ってきてサインするまでしばらく待って欲しいと言うのです。

そう言う訳で僕が日産に入社したのは9月の事でパーマー副社長の面接を受けてから半年も
かかったのです。

9月の途中入社は僕を含めて10人程度でした。

人事部長から「一週間 新入社員教育をやるので会議室に来て欲しい。」と言われた時は
ビックリしました。
「僕に新入社員教育をやるの?」と聞いたら「失礼しました。オリエンテーションみたいな
ものなので是非出席して下さい。」と言うのでともかく出席する事にしました。

でも矢張り無理でした。僕以外の途中入社の人は全く違う業界からの転入です。
僕は50年近く自動車業界で働いています。同じ講義内容で行ける筈はありません。

それと僕はJAMA(日本自動車工業会)の委員をしてきたので日産にも結構知っている
人がいます。
「えー!松林さんがどうしてこんな所にいるのですか?」と非常にやり難そうです。

時々講師のレベルでは答えられない質問をしたりして退屈を紛らわしていましたが矢張り
無理です

僕は日産の人事部長に「やっぱり一緒に講義を受けるのは無理だ。明日からはもう自分の職場に行く」
と言ったのですが「パーマー副社長には松林さんが一週間こちらでオリエンテーションを受けることで
了承をもらっている。明日から職場に行っても受け入れ態勢が出来ていないので困る筈だ」と
言うのです。

僕は直ぐにパーマーに電話して事情を話して明日からそちらの職場に行きたいと希望を述べました。
パーマー副社長が「GOOD NEWSだ。明日から直ぐに来てくれ。」と言うので人事部長の机の上に
「そう言う事で明日からは来ません」と書いたポストイットを貼って帰ってしまいました。

入社初日から人事に目を付けられてしまいました。

ただ日産の仕事は楽しく無かったです。

実際の仕事は主任ー部長ー役員と言うラインで行っており僕には責任も権限もなかったからです。
僕に一人秘書がついていましたが彼女に言っておけば出社するのもしないのも自由でした。

再び上海GMへ

そんな時に前に社長をやっていた上海GMから技術顧問として来て欲しいと言うのです。

話の内容を聞いてみると責任も権限も持ってもらう。予算も人員もつけると言う面白そうな
話でした。
でももう上海に住むつもりはないとか色々交渉していくと「半分で良い」と言うのです。

どう言う事かと言うと月の内2週間は上海、2週間は横浜の自宅と言う勤務体制にしようと
言うのです。
上海ー横浜は3時間ちょっとなので映画を一本見ている間につきます。

上海浦東空港には迎えの車は待たせておかないでリニアモーターカーに乗ります。

時速400KM以上で走行し7分強で上海の中心の龍陽路駅まで付きます。そこで迎えの車に乗れば
住居にしているホテルまで直ぐです。

これは非常に楽しくやりがいのある仕事でした。それに2週間で横浜に帰れば完全にオフと言うのも
オンとオフのバランスをとるのに丁度良い感じでした。

ただ流石に年もだいぶとってきたので 今度こそ日本に帰ってゆっくりリタイア生活を送ろうと
思って上海GMの技術顧問を辞めて日本に帰ってきました。
と言う事でリタイア生活に入ったのですが 本当に貧乏性で何かしていないとストレスが
溜まるのです。

現在の業務

そこで僕は又何かを始めたいと思ったのですが自動車関係の知人は同僚、部下、部下の部下あたりまで
リタイアしていて同僚の中には未だ自動車会社に対して影響力を持っている人もいましたが、
何となく今更僕の就職を頼む気にもなれなくてどうしようと考えていた時に思い出したのがモズでした。

モズエンタープライズの社章はこんな感じですが何か分かりますか?

鍵穴と言う人が多いですが実はモズを立ち上げた現在の社長の故郷が大阪府堺市百舌鳥なのです。

堺市の百舌鳥古墳群と言えば世界最大の古墳 仁徳天皇領の前方後円墳があるところで社章は
それを表しています。
所が大阪人の社長のしゃれで「大阪と言えばたこ焼やろ」と言う事で串が斜めに刺してあるのです。

実際モズ社内ではたこ焼きパーティ―と言うのをやっています。(現在は無期限の休止中ですが)

僕はこのタコパ―に参加した事があり経営者の人格(面白さ?)にひかれて僕を採用してくれるように
頼みこみ今はモズで顧問をしています。

自動車業界にいた時は自分が何でも一番良く知っていたのが
モズでは自分が一番何も知らない状態にあります。

ただ皆の協力を得て何とか務めています。

現在はコロナの影響でテレワーク中でみなとみらいの自宅マンションで
通勤地獄からのがれて仕事をしています。

片道1時間半 往復で3時間の通勤時間が無くなるのは非常に
時間に余裕が出来ます。

実は僕はもう一度自動車関係の仕事をしたいと思って 色々
考えています。

根っからの自動車野郎ですね。

よろしくお願いします。

 

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